NTTジャパンラグビー リーグワン2023-24 ディビジョン2 第7節
2024年3月3日(日)13:00 ヨドコウ桜スタジアム (大阪府)
レッドハリケーンズ大阪 vs 浦安D-Rocks
レッドハリケーンズ大阪(D2)
愛する家族に“今度こそ”見せたい。
24歳、2年越しの勇姿
3月3日(日)、ヨドコウ桜スタジアムで行われるディビジョン2第7節で、浦安D-Rocksを迎えるレッドハリケーンズ大阪(以下、RH大阪)。直近の試合ではスクラムが課題の一つに挙がっていたが、今節のフォワード陣には、小島燎成が控えとして名を連ねた。出場すれば、ファーストキャップの獲得となる。
秋田工業高校を経て大東文化大学を卒業したのは、2022年。試合会場で応援したいからこそ家族は「地元・秋田のチームか、せめて関東のチームに入ってほしいと言っていた」が、少し申し訳ない気持ちもありながら、小島燎成はRH大阪に加入した。
2022シーズン最終戦だったディビジョン1第16節、リコーブラックラムズ東京とのビジターゲームで、小島燎成は控えの17番として初のメンバー入り。試合会場は、東京都にある秩父宮ラグビー場だった。大阪に比べれば、秋田からも比較的短い時間で見に行ける距離で、記念すべきファーストキャップの可能性がある試合。家族にとっては、うれしいことだっただろう。小島燎成にとってもまた、家族に見てもらえることは、とてもうれしいことだった。
ところが、試合当日を迎えた2022年5月7日の朝8時、ホテルでのチームミーティングで告げられたのは、試合の中止。当時のコロナ禍の世情を鑑みれば、致し方ないことではあった。
自分だけが楽しみにしていたことであれば、「残念」で済む。けれど、自分よりも楽しみにしてくれていた人がいる。チームミーティングが行われる前には、小島燎成の下に家族から「東京に着いたよ」という連絡が届いていた。きっと本当に楽しみにしてくれていたから、到着の連絡までしたのだろう。試合の中止を伝えたら、さぞがっかりするに違いない。せっかく秋田から夜行バスで駆けつけてくれたのに――。
「仕方ないことだから」という言葉でフタをしていた心をいま開いてみても、そのときの感情は「なんて言えばいいか分からない」という。口元に手を持っていき、しばらく押し黙ったあと、「残念とか、悲しいとか、そういう言葉では表せない」気持ちだったと振り返っていた。親孝行できる喜びを感じていた小島燎成に突如訪れた虚しさは、察するに余りある。
それから2年近くが経ち、ようやく二度目のファーストキャップのチャンスをつかんだ。あいにく、家族は見に来ることができない。「でも、試合中継は見てくれるみたいで。父なんかは、たとえ仕事中だったとしても見ようとしてくれるんじゃないかな」と、小島燎成は頬を緩ませた。家族にさびしい思いをさせることも承知の上で身を置く決意をした大阪の地で、「少しでも『送り出して良かった』と思ってもらえるように」、その情熱と誇りが画面越しにも伝わるプレーを見せたい。
(前田カオリ)
浦安D-Rocks(D2)
「ラグビーをやって良かった」。
苦労人が迎える節目の一戦
6試合を終え、5勝1敗の勝ち点25で首位に立つ浦安D-Rocks(以下、浦安DR)は、今節レッドハリケーンズ大阪と対戦。3月3日にヨドコウ桜スタジアムで開催されるゲームは13時にキックオフする。
長い時間を掛けて、中島進護がトップリーグ・リーグワン通算50キャップに到達する。「毎年のようにけがをして、手術をして、やっとの50キャップ。長かったですね」。感慨深い様子でここまでの道のりを振り返る男のキャリアは少し異色である。
出身は高校ラグビーの名門・東福岡高校。いわゆる“同期”には埼玉パナソニックワイルドナイツの布巻峻介やクボタスピアーズ船橋・東京ベイの北川賢吾がいる。しかし、当時の中島は帰宅部。「ラグビー部の試合は全校応援でスタンドから観ていましたね」と、彼ら二人とはチームメートではなかった。それでも、高校3年時にクラブチームへ所属してラグビーに触れると、福岡工業大学ではラグビー部に所属。大学2年生のときに7人制日本代表に選ばれ、一気に道が拓けていった。
「大学から本格的に始めて、常にチャレンジ精神をもってやってきました。社会人になってからはラグビーを続ける予定はなかったけど、少しずつスキルやフィジカルが身に付いてきて、チャレンジしてみたいなと。そこでいろいろなチームから声を掛けてもらえるようになりました」。
2015年にNTTコミュニケーションズシャイニングアークス(当時)に加入し、その後、浦安DRの一員となり、気が付けば今季で10年目。いまでは、「ラグビーをやって良かった」と思いを明かす。
「ラグビーをやっていなかったら、『人として終わっていた』と言えるような人生でしたからね(笑)。周りの人からも『人が変わったな』とよく言われます。キャプテンなどを経験して人として成長できました」。
ラグビーとの出会いが、いまの中島を作り上げたと言っていいかもしれない。31歳で迎えた一つの節目。“遅咲きの苦労人”が、家族やチームメートへの感謝の思いを胸にピッチに立つ。
(須賀大輔)