NTTジャパンラグビー リーグワン 2025-26
ディビジョン2 第1節
2025年12月13日(土)14:30 江東区夢の島競技場 (東京都)
清水建設江東ブルーシャークス vs 日本製鉄釜石シーウェイブス
清水建設江東ブルーシャークス(D2)
「絶対に、選手として帰ってこい。何年かかってもいい」という仁木監督の言葉に応えて──清水建設江東ブルーシャークスの長谷銀次郎選手いよいよリーグワンの新しいシーズンが幕を開ける。
清水建設江東ブルーシャークスには、この日を2年間待ち続けた男がいる。加入5年目のフランカー、長谷銀次郎だ。今節の開幕戦は、彼にとってようやく辿り着いた公式戦の舞台となる。
1年目から試合に出場し、2年目もコンスタントに出場を重ねてチームの力になっていた。順調なキャリアを歩んでいた長谷だったが、最後に公式戦に出場したのは2023年12月の開幕戦、日野レッドドルフィンズとのゲームとなった。プレーのコンディションは良かったが、試合前から続いていた原因不明の頭痛が試合後にはさらに悪化。休めば和らぐが、動けば痛む。その不安定なサイクルが続き、下された診断は『脳脊髄液漏出症』。硬膜の損傷により髄液が漏れ出すことで、頭痛をはじめとした症状を引き起こす、過酷な病だった。
この2年間で2回受けたブラッドパッチ療法は、硬膜周辺に血液を注入してかさぶたを作り、髄液の漏れを塞ぐ治療法だ。激痛を伴い、痛みに強いラガーマンの長谷でさえ「二度と受けたくない」と思うほどだった。
しかしそうした肉体的苦痛以上に心を削ったのは、“グラウンドに立てない日々”が静かに積み重なっていく現実だった。
それでも長谷は、練習場に通い続けた。外傷とは異なり、自分にしか分からない波のあるコンディションでも、「症状を話しても良い影響を与えないと思って」常に明るく振る舞った。復帰の見通しが立たなくても、仲間にはそんな素振りを感じさせないようにした。だが1年半が経とうとするころ、長谷の心は折れかけていた。
今年6月の面談で仁木啓裕監督兼チームディレクターと吉廣広征ヘッドコーチに伝えたのは、苦渋の選択だった。「年内に復帰できなかったら、選手ではなく、コーチとしてチームに携わらせてください」。ラグビーから離れたくない一心で自分なりに出した結論を伝えた。
しかしその言葉に対して仁木監督から返ってきたのは、想像もしなかった一言だった。
「絶対に、選手として帰ってこい。何年かかってもいい」
長谷はその瞬間をこう振り返る。「そのときは正直、戻れないだろうという気持ちが大きかったです。だけど、この短い期間ですけど、グラウンドに戻れるんじゃないかな、というのがあって、もう絶対に選手として戻ろうと思っていました」。
それからおよそ半年後、今年11月15日のプレシーズンマッチ・ヤクルトレビンズ戸田戦でついに実戦に復帰する。
「戻ってこられて、本当にホッとしていますし、仁木さんがかけてくれた言葉に感謝しています」
さらに、迷いなくこう続けた。「やるからにはレギュラーを取りにいきます。開幕戦のスタメンを狙います」。
それからさらに1カ月の間、体を張ることをいとわず、リーダーシップも発揮。誰が見ても、長谷のプレーには確かな説得力があった。そして宣言どおり、長谷は背番号7を手にして開幕戦に戻ってくる。
「誰よりもタックルして、ブレイクダウンで頭を突っ込んで体を張るのが7番の役割なので、それを80分間全うします」
いまも症状と向き合いながらプレーしている。それでも、2年分の思いを背負い、公式戦で再び示したい姿がある。失われた時間ではなく、積み重ねてきた時間を証明するために。
止まっていた長谷銀次郎の時計が、いま再び動き出す。
(奥田明日美)



























