2025.12.12[記録が紡ぐ ジャパンラグビーリーグワン #1]山下裕史(神戸S)、史上初200キャップへ

200試合出場まで手が届くところまできた、コベルコ神戸スティーラーズの山下裕史選手(© KOBE STEEL, LTD.)

NTTジャパンラグビー リーグワン2025-26の開幕が目前に迫った。日本ラグビーの世界での発展を目指してジャパンラグビー トップリーグが設立されたのが2003年、その歴史を礎に、さらなるラグビーのレベルアップと地域との共生・連携と発展を目指して2022シーズンにリーグワンが開幕してから今季で5年目。たくさんの選手・チームの努力、激しい戦いが歴史を築いてきた中で、輝かしい記録が積み重ねられてきた。当欄ではトップリーグ時代からリーグワンを通じ、積み重ねられてきた記録の数々にスポットを当てて紹介していきたい。第1回は、今季の開幕から数試合で達成されるだろう史上初の大きな節目、「トップリーグ~リーグワン通算200試合出場」まであと「2」に迫っている神戸SのPR山下裕史選手の大記録に迫った。

(文:大友信彦)

史上初の金字塔が目前に迫った。
トップリーグ時代の神戸製鋼そしてリーグワンのコベルコ神戸スティーラーズで、スクラムの要・3番で活躍。ベスト15も2度受賞、2015年ラグビーワールドカップなど日本代表でも51のテストマッチに出場してきた山下裕史は、昨季のリーグワン最終戦となった3位決定戦の埼玉WK戦で通算出場が「198」に到達。今季は、大記録まで「2」と迫って開幕を迎える。

「チームではもう(200を)超えているので、実感はそんなにないんです(トップリーグ時代のプレーオフトーナメント、日本選手権大会等は通算出場数に加算されていないため)。ただ、この200は日本ラグビーフットボール協会、リーグワンの公式な数字として残るもの。自分にとって良いターゲットとしてモチベーションになっています」
開幕を控えたインタビューで、山下は快活に笑った。さすがは現在39歳。開幕の翌月、1月1日には40歳の誕生日を迎える不惑のラガーマンだ。コンディションを尋ねると「調子はいいですよ」と元気な声で答えが返ってきた。

「フィットネステストではPB(パーソナルベスト)の数字が出ました。ブロンコです。筋力でもスクワットは昨年より5キロ重い160キロを上げました。体脂肪も減っているし、良い状態ですよ。まあ、昨季の最後の試合が終わった後も、ずっとスイッチを入れっぱなしでトレーニングしてきましたからね」

近年はシーズンオフも休まずトレーニングを続けているという山下選手(写真は2025年3月30日の対リコーブラックラムズ東京戦、秩父宮ラグビー場で)(©NOBUHIKO OTOMO)

オフなしでトレーニングを続けるようになったのは、3季ほど前からだという。「クルマも旧車は暖機運転が必要じゃないですか。それと同じですよ。若い人ならオンオフを切り替えられて、ガッと上げれば体を戻せるけれど、トシをとるとそうはいかなくて、一度落としたら戻すのに何倍も時間がかかる。1日何もしない日はないですね。まあ、ラグビー選手なんで、練習しない理由はない。休むのは引退したときでいいでしょう」

話の流れで「引退」という言葉が出た。引退を考えたことはあるのですか? そう聞くと、山下は「ありましたよ」とあっさり答えた。
「2-3年前かな。ケガもないのに試合に出してもらえなくて『もう無理なのかな』『他のチームを探そうかな』と自問自答した時期がありました。試合に出られないと練習もしんどくなるし、気持ちも浮き沈みがあって(メンターだった)ウェイン・スミスに『ミーティングしてほしい』とお願いして話を聞いてもらいました。そのときウェインに言われたのは『WhyじゃなくHow』。『なぜ出られないかじゃなく、どうすれば出られるか』に頭を持っていけということでした。僕も、話せたことですっきりして、それからは練習前の準備や練習後のウエートをじっくりやったりしていたら『順番』が回ってきましたね」

あしかけ18年、200試合出場を果たそうとするベテランが「順番」ですか?
「本当に『順番』だと思うんです。チャンスはみんな、平等にあると思う。実績があって評価が高い人、体が大きくて目立つ人には太い綱が、ギリギリの人には細い綱が降りてくるくらいの違いがあるかもしれないけど、それが来た時に掴んで登っていけるかはその人が準備できているかどうか次第。18年やってきて、試合に出してもらえてきたのは、巡り合わせが6-7割だと思います。運もあるし、体が大きかったこと、大きいケガをしなかったこともあって、ヘッドコーチが代わっても目につきやすくて、割と早く順番が来て出してもらえたんだと思う。ありがたいことです」

山下がトップリーグにデビューしたのは京産大から神戸入りした2008年の開幕戦、長居で行われたNECグリーンロケッツ戦だった。神戸のフロントローは平島久照、松原裕司とのトリオ。NO8は伊藤剛臣、WTBには大畑大介。トイメンはNECの象徴だった久冨雄一。NO8 には箕内拓郎と、レジェンドがズラリと顔をそろえていた。

「めちゃめちゃ押された気がします。NECのスクラムは久冨さんだけでなくバックローにグレン・マーシュやニリ・ラトゥなんかもいてめちゃめちゃ強かった。僕は当時はホンマにポンコツで、めちゃめちゃ太ってて体重は130キロくらいあった。食生活も管理されてなくて食べたいだけ食べてたし、ラグビーでもアタックには今みたいな型が確立していなくて、ポジショニングも含めて適当でした」

山下は苦笑したが、ルーキーイヤーは1試合でリザーブに回った以外は全試合に先発するなど、トップリーグ時代は在籍13シーズン中9シーズンにわたって全試合出場で神戸のスクラムを支えた。しかしベスト15を受賞したのは7年目の2014年度が初めて。同期の同じ右PRには畠山健介(早大→サントリー)というライバルがいて、6年目までは畠山が連続受賞していた。だが、山下が先んじた記録もあった。入団3年目の2010年度第6節のヤマハ発動機ジュビロ戦では1試合3トライ。これはトップリーグにおけるPRのハットトリック第1号だった。実はライバル畠山もその翌週に3トライのハットトリックを達成するのだが、一番乗りは山下だった。「相手には五郎丸がいて、ピックしてトライを取りに行ったことは覚えてます。でもハットトリック一番乗りとは知らなかった。畠山より先だったのは嬉しいです(笑)」

神戸製鋼コベルコスティーラーズ(当時)は元オールブラックスのダン・カーター選手を擁しジャパンラグビー トップリーグ2018-2019で優勝。前列右端に山下選手(©NOBUHIKO OTOMO)

2012年から2015年まで、第1次エディー・ジョーンズHC時代の4年間は、日本代表のほとんどの試合で山下と畠山の2人で右PRの先発とリザーブを賄った。2015年のラグビーワールドカップで南アフリカを破ったブライトンの一戦では畠山が先発、山下がフィニッシャーだった。

「エディーとの出会いは僕を変えました。エディーが始めた早朝からのウエートトレーニングでヘッドスタートをするスタイルがすごく自分に合ってたんですね。体も変わった。7月のウエールズ戦のとき、ジャージープレゼンターとして呼ばれて小倉へ行ったんですが、当時もS&CコーチだったJP(ジョン・プライヤー)が、笑いながら当時の写真をみせてくれました。太っちょのひょろひょろ、お腹がでかくて肩や胸の周りは小さいんです(笑)。エディージャパンは僕のターニングポイントでした」

リーグワンでは日本人のプロ契約選手が増加している。だが山下は一貫して神戸製鋼の社員としてラグビーを続けている。現在は環境防災管理室で、防災系業務についている。「今年の夏だと、南海トラフ地震の際の避難所へ誘導する動線がわかりやすいように看板を確認する業務をやっていましたね。毎日暑い中、作業服を汗でびしょびしょにして工場の敷地を歩き回ってましたよ」

山下もプロになろうと考えた時期はあったというが「プロになっていたら、こんなに長く現役を続けられなかった」と笑う。「『もっと時間が欲しい』と言ってプロになる選手は多いけど、人間って、いつでもできると思うとやらない。『これしか時間がない』というほうができるんです。僕の場合、その反骨心でやってたら、このトシまで続いてた。会社の人に応援してもらえたことも大きかったですね。負けたら『何しとんねん』って怒られるんですが、それもまたいいんですよ(笑)」

シーズン中はラグビーが仕事だ。朝は5時45分に起床し、7時にはクラブハウスへ「出社」。選手では常に一番乗りだという。そこからウエートトレーニングに打ち込み、全体練習が始まるまでにコンディションを整える。だがラグビーがオフに入ると通常業務に戻る。昨季も3位決定戦でシーズンが終わると、月曜日の朝から出社した。しかし冒頭に書いたように、オフでも体を休ませるわけにはいかない。「8時30分から仕事なので、6時にはクラブハウスに来て、ウエートトレーニングをしてから出社しています。オフの方がしんどいです(笑)」

それでも現役を続ける理由は「ヒリヒリする感覚を味わえるのが良いんです」と言う。「昨季でいえば、静岡ブルーレヴズとの準々決勝ですね。前の週にはノエスタでスクラムでやられて負けた。1週間後に同じ相手と、負けたら終わりというプレッシャーの中で戦わなきゃいけない。その緊張感、高揚感、非日常の感覚を体験できるのは何にも代えがたいものです。勝つために1週間ずっと準備してきて、それをグラウンドで表現する。相手も同じように準備してきて、それをぶつけあう。もう、cm単位でどのタイミングでどう押すかという勝負。どっちに転ぶかは正直わからない、レフリーに決めてもらうしかない部分もあるけど、出し切ればやりきった感はあるし、最後に勝てたときは周りの人がみんな喜んでくれるという嬉しさがあります。あとはファンや子供たちとハイタッチして『うわ、手デカッ』と思って帰ってもらえたらサイコーです(笑)」

トップリーグで「史上初の100試合出場」が達成されたのは2011年12月3日だった。第1号は東芝ブレイブルーパス(現BL東京)のFL中居智昭。翌4日にはサントリーサンゴリアス(現東京SG)のWTB小野澤宏時が続いた。それから14年、その間には2015年ラグビーワールドカップで日本代表が躍進し、2016年にはサンウルブズが誕生。2019年には日本でのラグビーワールドカップ開催、2020年にはコロナ禍でのシーズン途中打ち切りもあった。山下は2016年にスーパーラグビーのチーム、チーフスで、2019年にはサンウルブズでもプレーした。

リーグワンの始まった2022年も、コロナ禍で多くの試合が中止されながらの、明日も知れない船出だった。山下も出場が決まっていながら、前日になってチームに陽性者が出て中止(不戦敗)になるという経験もした。学生時代からしのぎを削ってきた畠山も五郎丸も堀江翔太(埼玉WK)も引退し、現役を続けている同期は山田章仁(九州KV)だけ。そんな荒波の時間の末に、今季「200」という金字塔が打ち立てられようとしている…。200を迎えるのはどんな心境ですか? と聞いた。山下の答えは「その前にまず199試合目にしっかり出るのが目標です」だった。

神戸Sのチームメイトと。前列左から3人目に山下選手(© KOBE STEEL, LTD.)

「開幕戦の週の月曜日に、万全のコンディションでグラウンドに立てるように準備をする。そしてチームの代表、会社の代表として選ばれたら、試合でチームが勝てるように全力を尽くします」
山下は199の日も、200の日も、きっといつもと同じようにピッチへ飛び出し、いつものようにスクラムを組むだろう。そして次の月曜日も、同じように朝7時にはクラブハウスに着いて、ウエートトレーニングを始めるのだ……。


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